自分の感覚に正直に生きる
幸せとはなにか
と考えた時にどんなことが頭に浮かぶか
どんな生活が理想か想像してみる
- 玉の輿で結婚してセレブ主婦になる
- 誰にも干渉されずひっそりと山奥で隠居生活
- 有名人になってメディアから引っ張りだこ
- 今現在の暮らしがちょうどいい
多かれ少なかれそれぞれ理想は持っていると思う
私の考える幸福論は
”自分の感覚に正直に生きる”こと
23歳辺りで、私はどんな生き方が正しいのかわからなくなり自分が今後どうしたいのか何を望んでいるのかどんな人生にしたいのか悩んでいた
暗黒の学生時代
義務教育時代は暗黒期全盛期
思い出せもしないし、思い出したくもないです
完全に脳からシャットアウトされてるので記憶もかなり断片的
私が生涯学校に行っていた年数は
一般的な人間が16年だとすると(大学4年間を含めたとする)
その4分の1。
約4年程。学校に全く行っていなかった
世間では不登校と呼ばれてる奴。
中学を卒業して公立高校に進学する予定だったが行く気は端からなかったのだ。
学生という枠から一刻も早く抜け出したかった
中卒でもいいと両親に伝えたが、それはまずいのでどこでもいいから高校に入ってと言われてしまったので、滑り止めで受験した名前さえ書けば入れるような私立の専門高等学校に入学した
女子校だったのもあってか、死ぬほどつまらなかった
仲の良い友達はできたが、とにかく”学校”という場所が心底嫌だった私は一番仲の良い友達が辞めたタイミングで一緒に辞めた
23歳になって就活をしたり実家を出ようとしたり当時付き合ってた彼氏と結婚をしようとまで考えて、必死にもがいて"普通"に近付こうと切羽詰まっていた
あの時ちゃんと高校を卒業してたら
そもそも学校にしっかり通ってたら
だんだんと過去の自分を憎むように。
終いには親のせいにまでしようとしてて
全部自分で決めたことなのに情けなく思った。
なれない自分になろうとしてた時は辛かった。
私がやろうとしてることは、世間に合わせることで自分が本当に楽に過ごせる人生についてまで考えきれてなかった
そう気付いてからは
"自分の感性を信じろ"という言葉を頭の中に叩き込んだ
ブレそうになったらこの言葉を思い出してる
正直に生きるのは簡単そうに見えてハードルは高い
何十年と人生を続けてると自分の意思だけではどうにもできない問題は次から次へと出てくる
そりゃぁ、そうできるなら皆そうしたい
のかもしれない。
皆が好きなように生きてたら世界が成り立たない
という声も聞こえてきそう
だけど私は自分で決めたことに誇りを持って生きたい。
仕事も恋も人生も
「誰かに言われたから」「みんながそうしてるから」
という考えだと
本当はこんなことしたくなかった。
と後で自分に言い訳ができてしまう
そして今の時代だからこそ自分で選択肢を作れる
やりたいことを独学で勉強することも
インターネットがあるのでなんだって調べることができる
逆にわからないことなんて私達にはない
この情報過多の世の中はどう生きてくかどう上手く使うのか
恵まれた時代に生まれたからこそ体現化していくべきだと思う。