死にたくなったら怒りを原動力に変えて生きるしかない
生きていれば多かれ少なかれ、悩みは抱えていると思います。思い出したくない過去や辛かった出来事、死にたくなった夜を過ごした経験は皆さんありますか?
そんな私は昨日の夜、死にたくなりました。
昼間っからなんだよ暗いなって感じる方もいるかと思いますが、内容はそこまで暗くないのでご安心ください。
死にたくなったらどうしたらいいのか?ということを27歳アラサー女の私が自己流の解決方法をお教えいたします。死にたくなった時にぜひ読んでみてください!(満面の笑顔)
キモいくらいに感情を剥き出しにする
急に『死にたくなった』なんて言葉を口にされたら「えっ大丈夫?」「なにかあったの?」と大抵の人間は思うでしょう。
しかし私の場合は別にこれといった特別な理由はなくて、定期的に訪れる周期のようなものです。
なぜ死にたくなるかというと冒頭にも書いたように、思い出したくない過去、辛かった出来事、自分の愚かさ、なんでもいいからとりあえず今この現状から楽して逃げたい。というような気持ちです。簡潔にいうと現実逃避です。
現実逃避したくなることもありますよね。だって私たち人間だもの。
時間が経ってこうして文字に起こして死にたい理由も具体化されていますが、死にたいモード発動中の時はこんな風に自分を俯瞰して見ることできませんよね。
人間はある程度落ちるとこまで落ちると、次の行動へ移ろうとします。
そこで死ぬか生きるかに別れるのです。
自殺って9割くらいが突発的な行動なのでここが重要な別れ道になります。(おーいメモ取れー!)
私がまずおすすめすることは、とりあえず感情をむきだす!!!
いわゆる幼児退行ですよね。
いきなりなにを言いだすんだと思うかもしれませんが、これが意外と大切なことなんですね。
大人になると、とち狂ったように泣いたり暴れたりしなくなるじゃないですか。
大人は我慢しなきゃいけないものとして社会で扱われるからです。
しかし子供は怒ったり悲しかったりすると感情をおもっっくそむきだしにする。そして疲れて寝る。
死にたい気持ちを和らげてくれるひとつの行動です。
とりあえず気が済むまで泣き喚いたり、発狂したり、暴れたりしてみましょう。そして寝れたら寝ましょう。
負の感情を原動力に変換する
狂ったようにい泣いたり暴れたりしてみましたか?これが案外スッキリするでしょ?
では、次のステップにうつります。
私は根が暗いのでポジティブに頑張ろう!という気持ちを維持することができません。皆さんはどうですか?
一時的には「よし!頑張るぞ!」となることもあるけど、どちらかと言えば「なにクソこのやろう」と怒り狂っている時の方が、2倍くらい行動に差が出ることが最近わかりました。
”明るい未来のために頑張る”というよりかは、”馬鹿にしてきた奴らを見返す”精神の方が、明らかな原動力になっていることに気付いてしまったのです。
負の感情をエネルギーに変えるんですよ。
学生時代いじめてきた同級生達、援交野郎とデマを流した女友達、見て見ぬふりをした無能教師、浮気で二股したあげくフってきた元彼、パワハラ大好き元上司
人間の脳みそは都合よく出来ていて傷つけた人間よりも、傷つけられた人間の方が記憶が鮮明に残ります。
理不尽に傷つけられたことは、しっかりと記憶に刻まれていますよね?
赦す(ゆるす)ことが全てじゃない
「気が狂いそうな夜を何度も超えて、お前に会いたくてここまで来たんだ。」
銀杏BOYSのNO FUTURE NO CRY(ノーフューチャーノークライ)
会いに行く人はいないけど、死にたい夜にこの歌詞を頭に浮かべることで、すこしだけ人間の心を取り戻していました。
峯田和伸がこの世にいてくれたおかげで、負のパワーをプラスに変換することができたのです。
という話はまぁさておき...
こんな言葉を聞いたことがあります。
”許すことが愛。人間は愛をもって生きなければいけない。”
まるで聖書に書かれてそうなお告げですね。この考えはとても素晴らしい、ごもっともです。
こういった考えができるようになれば、もうあなたはマザーアースなのでこの記事を読む必要はないです。
しかし人間誰しもがこんな達観した考えをもちあわせているわけではないのです。ていうか無理でしょ!!??私はポジティブ至上主義である必要はないと思っています。
怒りや恨みで蓄積された負の感情を原動力にして行動に移すことが、自分を鼓舞することにつながるのです。そう、インスピレーションだ!
見返してやる気持ちでこの世を生き抜く
三浦春馬が死んだ時、みんな思い思いを口にして、勝手なことばかり言っていましたね。
「若くてイケメンなのになんで…」「なにも死ぬことはなかったなのに」「誰か相談できる人はいなかったのかな?」
挙げ句の果てには元恋人や友人までも責めだすクソバカ変わった倫理観をお持ちの人間も...。
可哀想かわいそうカワイソウとみんな口にするけど、「三浦春馬は人生にとっくに絶望していたのでは?」
こんな生きづらい世の中をギリギリのすり減った精神で生きるのは苦しい。しかし死は救済ではないのです。
死にたくなってる人に対して「死んだら皆が悲しむよ」「生きていたらきっといいことあるよ!」なんて励ましは愚答。
死にたくなった時は「散々コケにしてきたやつらを見返したくねえか????」と心の中でブチ切れるのです。
死んで見返すなんてのはもったいない。というか見返せません。死んでから人に何を言われるかもわかりません。
長年いじめられてきた元同級生に「すごく仲が良かったんです。なんで…あんないい子だったのに…」と嘘泣きをされた時にゃぁ、あの世で腹わたが煮えくり腐ってしまうでしょう。
そうなるくらいなら今はとりあえず生き抜いてむかつく奴らを見返してやる精神で生きませんか?
社会的成功を収め億万長者の資産家になって「ざまぁwwwwwwwwwwww」と指差してぷぎゃーしてやりましょう。
例えが極端でしたが、どんなにつらくても過去は変えられないのです。
執念深い=悪という風潮がありますが、私はそうは思いません。
見返してやる!って気持ちもある意味で前向きです。なにもしないで嘆いているよりかは自分の成長へと繋がりますよね。
死にたくなったらなにくそ根性で生きてやれ
社会は見捨てたとしても、インターネットを繋げれば味方は大勢います。大丈夫。
最後までご覧いただきありがとうございました。長々と綴ってしまいましたが、死にたくなった時はこの記事を読んで生きる希望を取り戻してほしいと思います。私からのお願いですどうか生きてくれ。お願い。。。。